幸せとは

2020.06.06

 

f:id:ryu_mass:20200606230600j:plain

 

2020.05.18ばあばが亡くなりました。

あまりの突然のことで、状況が理解できなかった。実感が湧かなかった。

母のばあばが事故にあって運ばれたという連絡で急いで迎えに行った。母と会った瞬間、間に合わなかった、と。雷が落ちたかのようだった。

急いで御前崎に向かう。ばあばは本当にエネルギッシュで若くて元気で、そういう死とはまさに無縁な人だった。なんでばあばがということが頭の中をぐるぐる回った。

御前崎の家に着いた。1ヶ月前に毎日通っていた家だ。こんな風に戻って来るなんて誰が予想できただろうか。すごい嫌だった。本当に嫌だ。じいじは混乱している様子。みんな忙しそうにあくせくしていた。お父さんの顔を見たときは号泣だった。思わず抱き合ったが、こんなに大きな声をあげて感情をあらわにしているのを見るのは初めてだった。そこでやっと、ばあばは死んじゃったんだと理解してきた気がした。

ばあばが車から、家に帰ってきた。布をとったときの衝撃を覚えている。ばあばじゃないような感じがした。本当に嫌だ、信じられない。翌日、湯灌で綺麗にしてもらった。そこにはばあばがまるで眠っているように居た。ああ、ばあばは死んじゃったんだ。そこでも、徐々に実感が湧いてきたのを覚えている。

警察署にばあばの遺留品を取りに母と行った。ばあばの原付から、その当時の持ち物まで見た。買い物をしてた帰る途中の事故だった。食材としまむらで買ったサンバイザーがあった。ばあばはこんなところで人生が終わると考えて居ただろうか。そんなはずない。これからも、普通だけども、幸せな暮らしが続いていくと思って居ただろう。その買い物をしたものがすごく残酷に感じた。こんな簡単に命が消えてしまって良いのだろうか。ばあばはまだ生きたかったはずだ。もっと見守って居て欲しかった。

本当に脆い。あんなに元気だったばあばの命も一瞬で消えてしまった。残ったのは衝撃と徐々に大きくなる悲しみ、虚無感。

家族が集まり、それをみんなで共有した。家族というもののつながりは本当に興味深い。愛の次元が高く、とても美しい。これは地球という縛りの中での大きな大きな発明のような感じがする。それがこの悲しみの中にいる僕らを支えてくれていた。

そして、同じく僕を支えてくれたのがばあばとの幸せな思い出だった。特に1ヶ月前に実習した2週間が本当に忘れられない。本当に偶然御前崎で実習することになり、本当に幸せな時間を送ることができた。僕は出し惜しみなく愛を伝えた。直接的な方法ではなかったけど、ばあばがくれたたくさんの愛に感謝するように愛を伝えた。毎日の料理が本当に美味しく、そして昔の思い出が蘇り、懐かしさも感じた。毎日、パンや漬物とかの料理を持たせてくれて、たくさん僕を気遣ってくれた。ご飯の時は、実習の話をしたり、ばあばの山の話、お父さんが選ばれて大阪に行っていた話、自慢げにしていた。本当にキラキラ光っていて、幸せな時間だった。涼屋に連れて行ってくれた。磯亭も連れて行くと言って、予定が合わなかった。今度遊びに行くからそのときに行こうと話した。残念だけど、それは叶うことはなかった。

どの思い出も幸せで、ばあばが亡くなったのは本当に悔やんでも悔やみきれない。でも、僕はその愛を伝えたことが支えとなり、悲しみを癒してくれてさえいる。これはなんでなんだろう。そこで、見返りの求めない無償の愛の関係が結べたからだろうか。そこに執着というものが限りなく小さくなり、次元の高い愛に変わったからか。愛を伝えるということのパワーを学ぶことができた。

 

愛を伝え、愛を感じる。幸せな時間を共有する。その瞬間は、僕らの時間感覚の中では過ぎ去ってしまったものなのかもしれない。しかし、その愛だったり幸せはいつでも感じることができる。いつだって近くにあるんだ。それを感じることができるから、癒されているのかもしれない。

この経験から学んだことは自分の人生で役立つときがくるはずだ。そうやっていろんな愛を受けてそれを大切にして、その愛をいろんな人に配って行くんだ。