保食や

2020.06.21

 

今日は高校の先生、友人U、マリコさんその友達と子どもさんと保食やにてご飯を食べました。

子どものエネルギーと可愛さはやっぱりすごいものでした。

それに加え、一人のネパール人が、Dr.Kのことを知っているとのことでした。狭い世界。ネパールはやっぱり縁がありますね。

 

マリコさんからは途上国支援の話をたくさん聞けました。

最近僕が悩んでいる答えに近いものが得られたかもしれません。

マリコさん曰く、途上国で活躍するトレーニングの場としてネパールが良いとのことでした。

プラス

最近僕が思っていたのは、支援とはなんなのだろうかということです。その村で何もかも完結していて、支援が入らない場合だってあるはずです。どれだけその村が「貧しく」見えていたとしても。(命を救うとかは別。)

また、支援をすることでその人たちの生活を壊す可能性は大いにあります。それに加え、僕らの国のように高度に文明化させたら自殺者の増加など新たな問題が出てくるかもしれません。まずは、そう言った支援はエゴだと気づかなければなりません。

そして、その村、人、コミュニティにフィットした介入をすることが必要です。押し付けは命を救う時以外してはなりません。

 

例えばシャーマンがその村の精神的支柱だった場合、医療者がシャーマンの活動を批判すれば、シャーマンの信用が落ちた時、村は混乱するでしょう。シャーマンのやることをエビデンスがないからと迫害し、野蛮なものとして扱うのは極めて傲慢な行動であることは間違いありません。それは支援とは言いません。

あくまで現地の生活を深く理解した上で、そこに適切な介入をすることはこれから求められるでしょう。

 

僕は、その支援をしたい人、支援が欲しい人を適切に繋げるような仕事をしたいと考えていて、それが今のところのプランです。フィールドワークをゆるくやって生きていきたいなあ。

 

マリコさんより

シャーマンの儀式は、エネルギーを強力なものから借りるのに必要になるそうです。強力なものの回線を借りるのに、思い込みなどを儀式というプロセスを通じて行うそうです。

なるほどな。腑に落ちた感覚でした。

幸せとは

2020.06.06

 

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2020.05.18ばあばが亡くなりました。

あまりの突然のことで、状況が理解できなかった。実感が湧かなかった。

母のばあばが事故にあって運ばれたという連絡で急いで迎えに行った。母と会った瞬間、間に合わなかった、と。雷が落ちたかのようだった。

急いで御前崎に向かう。ばあばは本当にエネルギッシュで若くて元気で、そういう死とはまさに無縁な人だった。なんでばあばがということが頭の中をぐるぐる回った。

御前崎の家に着いた。1ヶ月前に毎日通っていた家だ。こんな風に戻って来るなんて誰が予想できただろうか。すごい嫌だった。本当に嫌だ。じいじは混乱している様子。みんな忙しそうにあくせくしていた。お父さんの顔を見たときは号泣だった。思わず抱き合ったが、こんなに大きな声をあげて感情をあらわにしているのを見るのは初めてだった。そこでやっと、ばあばは死んじゃったんだと理解してきた気がした。

ばあばが車から、家に帰ってきた。布をとったときの衝撃を覚えている。ばあばじゃないような感じがした。本当に嫌だ、信じられない。翌日、湯灌で綺麗にしてもらった。そこにはばあばがまるで眠っているように居た。ああ、ばあばは死んじゃったんだ。そこでも、徐々に実感が湧いてきたのを覚えている。

警察署にばあばの遺留品を取りに母と行った。ばあばの原付から、その当時の持ち物まで見た。買い物をしてた帰る途中の事故だった。食材としまむらで買ったサンバイザーがあった。ばあばはこんなところで人生が終わると考えて居ただろうか。そんなはずない。これからも、普通だけども、幸せな暮らしが続いていくと思って居ただろう。その買い物をしたものがすごく残酷に感じた。こんな簡単に命が消えてしまって良いのだろうか。ばあばはまだ生きたかったはずだ。もっと見守って居て欲しかった。

本当に脆い。あんなに元気だったばあばの命も一瞬で消えてしまった。残ったのは衝撃と徐々に大きくなる悲しみ、虚無感。

家族が集まり、それをみんなで共有した。家族というもののつながりは本当に興味深い。愛の次元が高く、とても美しい。これは地球という縛りの中での大きな大きな発明のような感じがする。それがこの悲しみの中にいる僕らを支えてくれていた。

そして、同じく僕を支えてくれたのがばあばとの幸せな思い出だった。特に1ヶ月前に実習した2週間が本当に忘れられない。本当に偶然御前崎で実習することになり、本当に幸せな時間を送ることができた。僕は出し惜しみなく愛を伝えた。直接的な方法ではなかったけど、ばあばがくれたたくさんの愛に感謝するように愛を伝えた。毎日の料理が本当に美味しく、そして昔の思い出が蘇り、懐かしさも感じた。毎日、パンや漬物とかの料理を持たせてくれて、たくさん僕を気遣ってくれた。ご飯の時は、実習の話をしたり、ばあばの山の話、お父さんが選ばれて大阪に行っていた話、自慢げにしていた。本当にキラキラ光っていて、幸せな時間だった。涼屋に連れて行ってくれた。磯亭も連れて行くと言って、予定が合わなかった。今度遊びに行くからそのときに行こうと話した。残念だけど、それは叶うことはなかった。

どの思い出も幸せで、ばあばが亡くなったのは本当に悔やんでも悔やみきれない。でも、僕はその愛を伝えたことが支えとなり、悲しみを癒してくれてさえいる。これはなんでなんだろう。そこで、見返りの求めない無償の愛の関係が結べたからだろうか。そこに執着というものが限りなく小さくなり、次元の高い愛に変わったからか。愛を伝えるということのパワーを学ぶことができた。

 

愛を伝え、愛を感じる。幸せな時間を共有する。その瞬間は、僕らの時間感覚の中では過ぎ去ってしまったものなのかもしれない。しかし、その愛だったり幸せはいつでも感じることができる。いつだって近くにあるんだ。それを感じることができるから、癒されているのかもしれない。

この経験から学んだことは自分の人生で役立つときがくるはずだ。そうやっていろんな愛を受けてそれを大切にして、その愛をいろんな人に配って行くんだ。

 

在校生へのメッセージ・その1

2020.06.03

 

素直が一番。子供のような笑顔で生きよう。

増田竜樹

 

はじめに

子どもってなんでエネルギッシュなんでしょう。そして個性豊か。元気はつらつな子もいればおとなしい子もいる。まさに十人十色。そして、みんな人生が楽しくて幸せそう。みんなの周りにはそういう大人いますか?

自己紹介

私は、浜松医科大学5年生の増田竜樹と申します。高校時代はバスケ部で部活に勤しみ、良い先生に囲まれて充実した日々を過ごしました。大学の卒後の進路はもちろん医師になる予定ですが、それに関してたくさんの成長を経験でき、多くの気づきがあったのでシェアしたいと思います。

急に現れた将来への不安

「医学部でたら何するの?」大学で3年くらい何も考えず遊んで、急に気になりだしたこの言葉。そこで初めて自分がいかに適当に考えていたのか気づきました。そして、自分は自分のことを何も知らなかった。20年以上増田竜樹やってきているのに何にもわからなかった。

自分探し

まず、自分は何をしたいのか考えました。浮かんできた願望に対して、それはなんで?と自分を自分で質問責めにして、その気持ちがどこから来るのかをなんとなくでもわかるようになるまで繰り返しました。自分は探すもんじゃなくてもともと自分の中にあるもの。自分探しの旅で海外に行こうが、いつでも見つめるのは自分の内側です。

現れた幸せの邪魔者

自分の内側を見つめるとだんだん気づいてきたのが、たくさんのものに自分は縛られているということです。例えば、プライド。僕の大学には、ガリ勉はダサくてコスパいいことがかっこいいみたいな風潮があります。ポテンシャル高いみたいな。これめっちゃダサいじゃんって気づくのに3年かかりました。(笑) 変なプライドが邪魔して、授業中興味あることに質問できなかったり、大きな夢を持つことをかっこ悪いと思ってしまったり、散々でした。もっとも今はそういうしょうもないことは忘れちゃいました。自分のやりたいことを最優先にしたんです。周りの目は関係なく。つまりは、自分に素直になりました。ここから僕の人生は波に乗って行きました。

素直になるだけでいい方向へ

自分に素直になろうと心がけるようにしたことで、多くの嬉しいことが起こりました。実習で出会った先生に途上国支援をしたいという夢を素直に語ったことで、その先生の研究に参加して、外国人向けクリニックの手伝いをしたり、海外に興味がある人たちを紹介してくれてそこからまたたくさんいい出会いがあったりと、

 

とにかく、素直になってください。常識とかお金とか社会的地位より大事なのは、自分の幸せです。幸せは自分の源からくるものなので、生まれたときに近い素直な自分に、子どものような無邪気な自分に戻ってください。

常識的に〜とか社会的に〜とか言われたら、子どもだから難しいことわかんな〜いって心の中で思って笑ってごまかしましょう。そして、自分の幸せを追いかけてください。

先輩のご飯で感じたこと

2020.05.17

 

研修医1年目の先輩とお話しする機会がありました。顔を見るのは卒業してから初めてだったので久しぶりでした。

いくつか、腑に落ちたことがあったので記録しておきます。

 

仕事をお金稼ぐためだと思ってるうちは、自分のしたいことができない。

仕事は飽くまで趣味。お金を稼ぐためとか、家族を養うとかいう縛りを外せないうちは、自分の幸せは二の次になってしまう。

先輩はそのために、お金の収入源を医師として働くことだけでなく他から得ようとしている。他からの収入が潤沢にあることで、自分の"仕事"に余裕が生まれる。

 

人は贅沢したいとかいい生活をしたいとか思ったとしても、結局はそれだけでは満たされない。人生は意外と暇。

もし、自分に一生遊んで暮らせるお金を渡されたとしても、数ヶ月は遊んだり旅行したりして楽しく過ごせるだろう。でも、すぐに退屈になったり、張り合いのない毎日に飽きてしまう。贅沢は飽きる。必ず。

それはなぜか。自分の情熱を注いで何かをやってないからだ。

情熱とは幸せへの唯一の道。

その道は進むだけで楽しい。=イマを生きることができている証拠である。

 

 

人生のゴールは、自分の幸せ。(自分を知ること)

楽しいと思えることが仕事であるべきで、仕事はお金を稼ぐ手段である必要はない。

常識が覆ったにも関わらず非常に腑に落ちた。すげー!! 

 

P.S.

先輩は大きなクリーニングのチャンスを僕にくれた。ありがてえ...うまくここを解除してループから脱したい。

ダイゴさんを囲む会始動

2020.05.16

 

今日はZoomで、恩師の教え子で現在都内で会社経営をしている方とお会いする機会があった。集まったのは僕の同級生、先生の教え子たちで大変実りある時間だった。

最初はビジネス関係の人ということで、少し侮っていたのか、自分は医療に貢献するということで驕りがあったのかもしれないが、軽く見ていた。ビジネスマンはお金を稼ぐことにしか頭が行かない人という印象があったからだ。

ただその印象はダイゴさんと話していくうちに解けていった。自分の何ステップも上を行くような、精神性の高い人というのはすぐわかった。やっぱり、余裕がある。

 

ダイゴさんは、自分探しの一環として、やりたいことを300も400も書き出したそう。

それを書き出していく上で、自分の傾向を知ったり、1つ1つのやりたいことに対して、「なんで?」と問いかけることでディープな部分で掘り下げていったそう。

 

お金を稼ぐだけというのは、すごい低いことだとわかった。

ダイゴさんはお金を増やすということではなく、それによって何をしたいのか、夢にフォーカスを当てていた。そこにフォーカスを当てることでクライアントは内向的な幸せに近づくことができる。そこまで、わかっているようだった。それを見抜くだけの実力、カリスマ性、信頼を得る力があると感じた。

このモデルは僕の医療でアプローチしていきたい部分に似ており、ダイゴさんと僕は似てると感じた。

貧しい人に、食料を与えたところで、その人たちが満腹になったとしても、もっと美味しいご飯を食べたいと思うだろうし、もしかしたらもっといい服を期待と思うかもしれない。それは際限がないことである。

それと同じように、医療でも、命を救ったところで、もっとQOLをあげたいって思うだろうし、健康な人はブランドものが欲しいといったり、タワマンに住みたいとか言い出すだろう。これに関しても際限はないことだ。

その、消費→満足→飽きるのループを断ち切るためには、内向的に幸せに向き合うしかないのである。自分の幸せに感じることはなんなのか。それに対する障壁を取り去るべきである。

 

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そこのディープな部分をほじくるのが楽しいと思った家庭医療実習を思い出した。医師としてやりたいのはそのくらいかなーという感じ。

正直いろんな国とかに行っていろんな文化の人と出会い、信頼関係を作りほじくるのが多分自分のやりたいことかなあ。それをやる道具として、公衆衛生というのが結構いいかもしれないと思い始めている。

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気になった言葉をストックしていく倉庫

気になった言葉倉庫

2020.04.18

「今ここ」「すべては1つ」これに尽きる。

全てが中心で、全てが中心につながる。

来年もまた早々にヒマラヤの超パワースポットにいくにあたって: メッセージ

 

2020.05.02

言葉は、ツールだ。
全く違う宇宙からきた意思疎通のしようのない人たちが会話するための限られたツールにすぎない。 

ツールにすぎないが、それを使い意思疎通するためにこの地球の枠組みが必要だった、ともいえる。

人は全く同じではない。情報処理の仕方見方なんでまるでちがう: メッセージ

 

 

2020.05.02

「自分のこと、好きか、嫌いか」「それは何パーセントくらいそうか。」を確認してみる。
その際、本当にあらゆるレベルでそうか、エセポジティブで自分をおおってないか、をちゃんとみてみること。

たどり着いたと思っても、さらにその先にあるのだ。絶対、といえるほど。

もしくは、「自分のことにすべてにおいて、オーケーをだせているか」

そうでなかったらそう思えない理由を感じてみて、はっきりとさせるとよい。

2019年後半にはいり まずは自分の内側の火消しを: メッセージ

 

2020.05.02

周りの世界が少しだけでもいつもと違う姿を見せたり、タイミングが思いがけず、あってきたのならば、それはしっかりと証拠だ~と受け止めよう。
自分がそう思えば、変化は加速するから。

連続数字をみたり、彩雲をみたりとか: メッセージ

 

2020.07.26

周りと比べるということは、周りと同じことをしている証拠。ユニークにユニークに生きよう。

ワークライフバランスは、ワークが楽しくない前提で、ライフと切り離されている。好きなことをやっていけばワークがライフになる。

https://youtu.be/pK2s46wydGw

自分の気づいたこと☟

型や常識にとらわれるのはやめよう。with a clean slateで本当にやりたいことを実現できる道を考えて、それに向かって努力する。

努力はどんな時も必要。

どっちでもいい、が最強?+最近の気づき(ロマンス)

2020.05.02

 

どっちでもいい、という感覚がすごい大事な気がしてなりません。

こういう風な気持ちがあるときはだいたい自分にとって嬉しい方向に物事が進みます。もちろん、全てが嬉しいわけではありませんが、いずれは全て自分のためになるのかも。(どうやってためになるか、わかる必要は全くありません。)

どっちでもいい、というのはある意味、依存がなくニュートラルな状態ということを表しているのかもしれません。ニュートラルであるほど、流れに身を任せやすくその流れに乗りやすいということでしょうか。イコール軽いということですかね。

 

 

ただ、自分が重く感じることも多くあります。その1つがロマンスです。

ガールフレンドができましたが、彼女との関係の中で気づくことがたくさんあります。そして、それは重苦しいことが多いです。

例えば、

どうしても彼女に期待をしてしまいます。甘い言葉を言ったら、甘い言葉で返してくれるだろうという期待。自分の話をもっと聞いて欲しいという期待。それが溢れるように出てきます。

全ては好きであるが故でも、愛でもなんでもなく、ただのエゴです。

 

それに気づいてはいるんですが、湧き上がってくる。⬅️これ大事!

「気づいている、理解しているのに湧き上がってくる」というのは意識の縛りです。(今気づいた)湧き上がってくるのは、理解していないからではなく、魂がそのキオクを手放しきってないから。手放したつもりでも、また引っ付いたりこびりついてて取れてなかったりはよくあることです。僕がやることは、それに気づいたたびに、Ho'oponopono自問自答紙に書き出していけばいいだけです。それを地道に粘り強く続ける度に、僕はステップアップできるし軽くなることができます。

 

彼女は、僕を成長させてくれています。とても素直で透き通っているようにピュアで、よく息を飲むほど美しいと思います。

でも、そのような感動も、僕のエゴが曇ったメガネとなって、鈍いものになり、相手の美しさを感じ取ることができなくなります。そんなのもったいないじゃん!綺麗なものに感動する心を持っていたいじゃん!

いつだってフォーカスすべきは、自分の内側です。相手の行動や自分の期待と相手の言動のズレではありません。おかしいなと思ったら、自分を見ましょう。毎回必ず気づきがあるはずです。そのような機会をたくさんくれる、彼女には感謝です。ありがとう。愛しています。